ミャンマーの兄から

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 先週、ミャンマーのThet Tun (U Thet Tun)さん、(Uはビルマ語のMr.にあたり、成人した男性の敬称だが、名前の一部のように付けて呼ばれる)から、1冊の著書が送られてきた。

 Wave of Influence という290ページにわたる英語のペーパーバック版で、元駐仏大使であり、ユネスコのアジア局長も勤めた著者が、自分の周囲の人達について、克明に記録しているのだだが、中にJapanese Influence という一項があって、父、田上辰夫が戦後のビルマ治世官として日本語学校などに、どうかかわってきたか、ついでに父の没後の我々家族や、私が母のお弟子さんを伴って行ったフランスでのお茶会の様子などまで、こまごまと記されている。

 私には8つ違いの兄がいるにはいるのだが、兄の結婚後何となく疎遠になり、両親が相次いで亡くなると同時に不仲になって、現在では絶縁している。世界一仲の良い兄妹、といわれた昔を思えば悲しいことだが、仲が良かった分、一生でプラスとマイナスが釣り合っているのかもしれない。

 父が亡くなった翌年、フランス大使だったテットンさんの家を訪れると、彼の分厚いアルバムの中に、父から送られたという私の幼い頃からの写真がたくさん貼られているのを見せてくれた。父がテットンさんを自分の家族として可愛がり、日本の状況、自分の心情なども伝えていたのを知って、不仲な実の兄よりも、真から私を気遣ってくれるもう一人の兄、と思うことにした。

 テットンさんは19歳で最年少のアジア留学生として日本に来て、原爆にあっている。広島の下宿を親友のオマールさんという、エーと、マレイシアかな、の王子様と交換して、オマールさんは広島で被爆して亡くなり、テットンさんは京都の彼の下宿にいて助かった。オマールさんのエピソードは京都の小学校の教科書に載っていて、丁度私がお茶会を開いた友人の池田文子さんと2人で、テットンさんを京都に案内したときにオマールさんの記念行事があって、我々も一緒に参加した思い出もある。

 テットンさんの頭の良さは、留学生で来日する以前から、ビルマの日本語学校の先生方の間で評判だったが、今もその記憶力の良さ、確かさに驚かされる。英、仏、日本語の他に何ヶ国語が話せるのか知らないが、この本にはエピソードごとに細かく年号が振られていて、私が1歳のときに父はビルマにいたのか、日本はそういう状況だったのかと、歴史の側面を知ることもできた。

 ビルマ人の名前がたくさん出てくるので音読はできないが、わかりやすい英語で、久しぶりに英語の本を読んだ、という気になった。
それにしても、何かの辞書に、「国名はミャンマーだが、ミャンマー語、ミャンマー人とは言わず、ビルマ語、ビルマ人という」と書いてあったけれど、ホンとでしょうか??