『幻想小説名作選』半村良・選 集英社文庫

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 昭和54年が初版らしいから、ずいぶん古い本だが、アマゾンなどではまだ手に入る。18人の作家の18作品と、巻末に小松左京と半村良の幻想小説についての対談が載っている。

 幻想小説選だから幻想的な小説が選ばれているのだが、夏目漱石の「夢十夜」、泉鏡花の「眉かくしの霊」、川端康成の「片腕」、谷崎、佐藤春夫、太宰治、吉行淳之介、筒井康隆,小松左京などなど、どれも、この作家の作品はひととおり読んでいるはずなのによく覚えていない話、「各作家の代表作を三つ上げよ」といわれたら、出てこない作品ばかりのような気がする。

 しかし泉鏡花の『眉かくしの霊』は、私も大好きな作品で、多分大映で、映画にもなったと思う。山本富士子の主演で、何本か泉鏡花の作品が映画化されていた頃・・・・50年以上昔かもしれない。エーとね、オンタイムじゃなくて、といいたいところだけれど、あの頃は小石川柳町の都電の停車場の近くに映画館が2つあって、映画の好きな両親は、毎週のように揃って観に行っていたので、幼い私も連れて行かれて、市川雷蔵、大川橋蔵、伏見扇太郎なんぞという天下の美男子を見慣れてしまった。

 閑話休題。本の話に戻ると、やはり『眉かくしの霊』が懐かしかった。したたるような丸髷に結い上げた若妻が、始めは眉を隠して、後では眉を落として、つまり剃って、「似合いますか?」と振り返ったりする妖艶な場面が出てくるのだが、眉を剃って歯を黒く染めた若い女を、妖艶だと感じる心が今の人にあるかなあ。ちょっと心配ではあるけれど、泉鏡花の小説はどれも幽玄な世界を描いていて、読む人を現実から引離してくれる。

 とかく、文章というのは、分かりやすく、はっきり書くように要求されて、そうでなければ確かに役に立たないのだが、泉鏡花の文章は、えっ、こっちの人の話だったの? あれっ、過去の話よね?と二次元も三次元も、読んでいるうちに分からなくなる。知らず知らず、不思議の国のアリスの穴に落ちていって、幽玄の世界に沈み込んでしまう。

 明治の文学も、今の若者には古典だそうだから、読み慣れないと良さが分からないのかもしれないが、この魅惑の世界を知らずに人生を送ってしまうのはもったいない。そう思って、5月5日のFM軽井沢で、この本を取り上げてみた。せっかく日本人に生まれたのだから、鏡花の世界を、せめて明治文学を自分の生活の中で堪能してもらいたいもの。

 これから夏に向けて、えげつないTVの怪談話(いつから怪談を怪談話なんて間違った呼び方をするようになったの?)より、こんな本で涼しくなってみてはいかが?