ミステリアスな一冊(先週のFM軽井沢。ハメットとヘルマン)

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 一句、できました。「春の雪 ひねもす ぽたり ぽたりかな」。またぁとか言わないで!起きてみたら、一面の雪!銀世界、などというシャープな感じではなく、春の雪は積もっていても温かい。家の中も昨夜の降り始めよりずっと暖かくて、今朝は8時までぐっすり眠ってしまった。
 トントントン、というノックの音で起こされ、出てみても誰もいない。雪の上に足跡もない。これだから私は雪が好きだ。何かあれば、跡を見ればすぐ分かる。で、ノックの主は雪。落葉松の枝で溶けた雪が、トタン屋根にトトトト、と落ちる音。どの木も枝に10センチもの雪が積もって重そうだが美しい。その雪が暖かい朝の光に少しずつゆるんで、かたまりのまま、ふわり、ぽたり、と落ちてくる。10センチずつのかたまりが、ぽたりぽたりとおちているから、冒頭の句である。やっとわかった?ひねもす ふわりふわりの木もあるの。

 さて、先週のFM軽井沢では、不思議な本を紹介した。ダシール・ハメット『闇の中から来た女』集英社。ハメットらしいハードボイルド。ストーリーを書くわけにはいかないが、ルイーズという女と、ブラジルという男の物語で、熱中して読んで、読み終わって「ひとつの人生を読み終わった」というそこはかとない満足感が残る。良い本といっては表現がおかしいかもしれないが、1200円という代価を支払うだけの充足感は充分に得られる。

 では、何がミステリアスか? 個人的なことだが、我家にはあり得ない本なのである。私と次男は、単行本はほとんど買わない。良い本ならきっと文庫本になるから、それまで待つ。(『ハリーポッター』みたいに、文庫本にしないというのはルール違反な気がする。買ったけど!)。長男も単行本はドキュメンタリーのようなものしか読まない。息子達の父親も、そんな本は知らないという。
 この本は何年か前に現れて、2階に行ったり、階下に来たり、本棚に横になっていたりしていたのだが、いつの間にか居間の目に付く位置を転々とするようになった。10年近く見ているので、読んだような気になっていたが、数日前読み直す気持で開いてみたら、まだ読んでなかった!
 こういう本を、唯一単行本で読みそうなのが、1984年に亡くなった母で、SFやミステリー、何でも読む人だったし、字の大きい単行本を読んでいたから、母が買ってきておいたのかもしれないと一度は納得した。しかし、奥付けを見ると、発行されたのは1991年である。さて、誰がこの本をここに置いたのか。

 この本にはもうひとつ、嬉しい不思議もあった。出会いである。
『闇から来た女』船戸与一訳 の「訳者解説」に、ハメットと一緒に暮らしていたリリアン・ヘルマンが与えあった影響について述べられているが、そこにヘルマンの自伝『眠れない時代』小池美佐子訳が2ページ近く引用してあるのだが、この本がせせらぎ文庫にいれてあるのだ。(今、雪の残る庭に、雉が3羽来ている!)
 せせらぎ文庫の上の方の本棚には、このあたりの第一世代?つまりおじいさんおばあさんの世代に面白いように、多少、マニアックな本も並べてあるが、この『眠れない時代』はその中の一冊。いつのことだか憶えていないのだが、若くて美しいこの訳者に、直接手渡された記憶があり、リリアン・ヘルマンという女性とハメットという粋な男に、興味を持ったキッカケでもあった。

 小池さんは高校の先輩なのでかかわりがないわけではないが、3年上なので同じ時期に通学していたわけではない。元々は男子校なので美人の誉れ高い小池さんは、3年下にも知れ渡っていたというだけで、友達をたどってみても彼女にはつながらなかった。でも、勇気を出して訳者の小池美佐子さんにv直接電話すると、彼女も勿論私を憶えては居なかったが、FM軽井沢で文章も読んでしまうかもしれないので、というと喜んで承諾してくださった。
 いくら話しても、いつ、どこで会ったのか分からないのだが、誰が置いていったのか分からない『闇の中から来た女』という一冊の本が、リリアン・ヘルマンを経由して、知っているけど知らない、話したことがあるのに記憶がない先輩と、出会わせてくれたことをとても不思議なことだと思う。

 実は小池美佐子さんとのつながりはもう一つあって、小池さんのお父様は、私たちの中学校の校長先生で、当時ツッパリのハシリだといわれていた私に、特別目をかけて下さっていたのだ。始まりは何のことでもない。学校の帰りに直接稽古に通うので、お腹がすくからと、学校の売店で帰りがけにパンを買うのが一部の女生徒の気に障って評判になったというだけのことだ。

 隣のクラスの女子に呼び出され、つるし上げに合うという噂が先に先生たちの耳に入ったらしく、つるし上げの当日、校長先生と理事先生が離れた所から現場を見守ってくださっていた。当の私は舞台度胸があったので、2~30人に取り囲まれても一向苦にならず、一段高い所に立って相手の言い分を聞いていたが、熊さんのように行ったり来たりしながら心配して下さっている校長先生が私からは良く見えて、心強かった。話合い?は無事に終り、それ以来、安藤尭校長は、機会を見ては私に話しかけ、道の向こうからでも手を振ってくださるようになった。友人が「いいわねえ、貴女って校長先生のほうから先に手を振ってくださるのねえ」と羨ましがられた。校長先生の愛情がなかったら、私は本当にツッパリになっていたかもしれない。その頃はせめてお年賀状を出す、という知恵もなく、特に親にも話さず、感謝の気持を伝えられなくて、ずっと心にかかっていた。小池さんにチラッとそんな話も出来て、このミステリーはハッピーエンドになったのである。