明けまして あめでとうございます。ミャンマーのカエイ文庫の話です。

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 遅ればせながら、新年のご挨拶を申し上げます。
今年は年賀状を、印刷でなく、ご挨拶部分だけでも毛筆で、と思い立って、よせばいいのに、今日漸く
250枚目(書き損じを含めて)を投函してきました。肝心の?バオバブのお姉さま方の分がなくなってしまって、明日、駅まで下りて買ってこなければ。頂いた賀状に先にお返事を書いてしまったので、他にも、あちこちに失礼している年始です。60年以上年賀状を書いているのに、まだこんな有様です。

 年賀状といえば、お年玉付き年賀葉書を考案したのは、京都の林正治さんという日本チャーチル会所属の画家で、とてもハンサムな小父様でした。京都時代からの父の知人で、ある日西片町の我家を尋ねてみえて、自治省の役人だった父に、郵政省への仲立ちを頼んでおいででした。幼い頃から面食いだった私は、林さんになついていたらしくて、父の膝と小父様の膝を往ったり来たりしながら、大人の話を聞いていたようです。父の仲介で、林の小父様のアイディアが実現したと父が話してくれたのも、良く憶えています。林さんは水彩画が特にお上手で、水色が特に優しげで、好きでした。

 閑話休題!ミャンマーのカエイ文庫の話です。昨年暮に突然出来上がりました。これも父、田上辰雄の縁です。因縁話は長くなるので、客観的に正確に、と思うと、住所どころか、カエイ文庫のスペリングすら、まだ覚えてない事に気付きました。
 できるだけやってみますね。代表者は岩崎亨さん、ひとみさん、というご夫妻で、カエイ・インターナショナル・スクール(?このへんから不正確。HPを見たのに!Kaeyai だったかなあ?Nurserry School?)を主宰していらして、もともと教育者の育成を目指していたけれども、育成しても教育現場がないと気付いて学校を作られたというお話だったと思います。
 カエイ文庫は、その幼稚園児を対象にしていて、カエイというのは、白い小さな花の名で良い香りがするのだそうです。

 岩崎さんは、テットンさんという、父が実の息子のように可愛がっていたビルマ人の紹介で、留守の我家を尋ねて下さいました。暮に一度東京に帰った際、岩崎さんの著書と、テットンさんからの何かに掲載された英文のコピーが届いていたのです。そのコピーに「田上の娘の悠紀子が、父親が戦後のビルマで、英語学校をつぶせという本国の命令に抗議して残し、別に日本語学校を作ったように、国際児のことを考えて文庫活動を続けている」と書いてくれていました。

 すぐに岩崎さんの著書を読み、子ども達のことを考えている方だと感じて、すぐに英語の本を送りたいと連絡しました。不思議なことに、30年前ICBAを設立以来ずっとサポートして下さっている洋販の(会社もなくなり、会長も亡くなられましたが)村山さんから英語の本の寄贈を申し出て頂いて、送先を考えていたところだったのです。

 ミャンマーに本を送るのは難しいのですが、仲介してくださる方があるとのことで、早速段ボール箱3個の英語の本が送られ、日本の子どももいるからとのことで、私も蜜柑箱いっぱいの日本語の本を送りました。5,6カ国の子ども達が集まっているようで、今年は伊藤忠記念財団に、外国語の本の援助をお願いしてみようかと思っています。

 もうひとつ不思議なのは、南十字星文庫とマグパイ文庫をオーストラリアに設立した入江英雄さんと、岩崎さんに共通点が多いことで、入江さんはオーストラリアで学校を設立し、その中に南十字星文庫を作って下さったのですが、中学時代(だった?)は野球部のピッチャーで活躍していました。岩崎さんの本もミャンマーの子ども達に野球を教えて、国際リーグにまで持っていった話だったのです。
いつか二人を引き合わせたいなあと夢見ています。

 暮の30日、雪の降る中、山道を思い本を引きずりながら郵便局に行き、ブリスベンの阿弥陀寺にあるマグパイ文庫にも本を送りました。南十字星文庫の本も荷造りは出来ているのですが、住所が見つかりません! どうして私の机は、必要な時に限って大事な書類を隠すのでしょう?困ったものです。たくさんの良い本が、一日も早く、子ども達の手に渡りますように!