『もひとつ ま・く・ら』柳家小三治・『こども落語』燕路

  • 投稿日:
  • by

 1月29日のFM軽井沢、「魔法使いの本棚」では、上記の落語の本を紹介した。
『もひとつ ま・く・ら』は勿論『ま・く・ら』の続編。講談社文庫だが、これは単行本の文庫化ではなく、文庫オリジナル、というところが文庫本ファンには、また嬉しい。
 落語の本、といっても『ま・く・ら』の2冊は、「まくらの小三治」と異名をとる小三治の、あちこちの会での枕(枕は、落語に入る前に演者がつなぎに語る由なし事です・・・念のため)を集めたもの。「こういう話がしたいから来ているんで、べつに落語がやりたいわけじゃあない。そうでもないか」などと本人も言っているが、ときには枕が長すぎて本題の落語が消えてしまうらしい、等と巷の噂もあるほど。
 言われるだけあって、読物として面白い。どうやって、なんと言う落語につなげるつもりなのだろうと想像しながら読むのも楽しいが、ご本人は落語に関係なく?言いたいことを言っているかに見える。子どもの教育の話に我が母校の名前が出てきてニヤリとしたが、語学の話、人生の歩み方など、納得できる固い話、普段、気恥ずかしくて、周囲の人には話せないまじめすぎる話を、粋な語り口で話しているのが、文字になっていて嬉しい。読み終わって胸がすっとする。

 その小三治が、落語界に入るにあたって、弟子入りの世話になったのが燕路さんだと書いてあって、驚いた。驚ろくにはあたらないのだろうが、この燕路さんは、せせらぎ文庫フェスタで、さんざんお世話になっている瀬名恵子さんのご主人。早くに亡くなったのですが、良い方だったのだなあ、と、故人をしのびました。

 故人といえば、昨1月29日は大学3年で亡くなった親友の命日。軽井沢の雪の中で、今年も墓参に行かれなかった、と偲んでいました。
 高校卒業の寸前から、急に親しくなった4人組で、デカ、ペチャ、ポンという3人の男の子と、タンコという女の子の4人組。ペチャも同じ年に亡くなったのですが、2人がいなくなるまでの数年間、みんな、世界一幸せな青春を過ごしました。
 高校では、クラスにデカペチャポンを囲んで7人の侍がいたので合あわせて10人、女子はもともと14人しかいないので、全員が纏まっていて(2,3人遊ばない人もいたけど)10人は我が家に泊まりにきたりしていました。
幸いデカペチャポンもタンコもあちこちに友達が多く、早稲田、学習院、慶応、トン女と4人とも違う大学だったので、各々の学校で4,5人ずつの仲良しと10人くらいのグループがいて、声をかけると、すぐに50人のパーティが成立します。歌ったり、踊ったり、夜を徹して喋ったり、映画を作ったり・・・。軽井沢でも、偶然、ペチャも私も千ヶ滝で歩いて5分ほどのところに家があったので(ウチは貸別荘でしたが)、各々の家に分かれて泊まり、どちらかの家に持ち寄って食事をしたり、本当に健全で、精神的にも充実した青春でした。
 その輪の中心に居た2人が続いて病気で亡くなったので、私たちの高校のクラスは、今でも仲が良すぎるほど良くて、クラス会が続いています。

 ああ、本の話でした。燕路さんの『子ども落語』はポプラ社から大型の文庫本?で4巻まで出ているのですが、子ども向きにたくさんの噺が紹介されていて、とても良い本なので、改めてご紹介します。