『ぼくは12歳』 岡真史 筑摩書房

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 2月12日のFM軽井沢は、東京の自宅から、電話での参加だった。丁度、中学受験が終わった時期で、12歳という傷つきやすい年齢の少年少女が、受験戦争といわれる状態に置かれているのが気になって『ぼくは12歳』という詩集をとりあげた。

 私がこの本と出合ったのは、初版が出た1976年当時だった。作者である岡真史が12歳でその命を散らしたこと自体がニュースにもなり、翌年発刊されてすぐ手にしたのではあったが、決して亡くなった少年の心が覗きたかったからではない。
 新聞で紹介(多分)されていたリンゴの詩の、芯のまわりにあるくろいところは 蜜であるのかないのか・・・・とかいう一行に何故かひどく興味を惹かれて、文庫本好きの私が、珍しく単行本のこの本を買ってしまったのだった。

 読んでみると件の詩は、潔癖症でちょっとでも傷んだ果物は手にも取らなかった真史少年が、黒くなっているのは糖分が集まっているからという母親の説明を、信じようか信じまいかと躊躇っている詩であった。
 だから私はこの本を、夭折した少年の詩だから、という理由で評価してほしくない。

 子どもの書いた詩は純粋な心で書かれているからと、詩の形を成していないような文も詩として並べられている本が沢山あるが、この詩集はそんなレベルではなく、幼い頃からたくさんの本を読み、豊富な語彙を自由に駆使して、透明な彼の心のままを詩にしている。キラキラと、そう、冬の軽井沢でも時折見ることの出来るダイアモンドダストのように、空気の凍るようなキラメキをことばにしている。

 たまたま岡真史の父親が、作家で外国人であった為に、人種差別だとか自殺の原因はとか、余計な興味で彼の詩が読まれるのは残念でならない。

 子どもから大人に変わってゆく12歳という微妙な年齢の心の揺れを、大人のことばで伝えているこの詩集を、まず、中学生の子どもを持つ親達に、そして中学生から高校生になろうとする子どもたちにも、余計な予備知識無しに味わってほしい。