『与謝野晶子 歌碑めぐり』 堺市国際文化部 編

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 現在220基あるという与謝野晶子の歌碑のうち、125以上を掲載している。
大元である、大阪府堺市の20箇所をはじめに上げた後、北海道から南に下り、パリ、オスロ、ウラジオストック、バークレーまで、歌碑に上げられている歌、土地、晶子とのゆかりなどが、写真付で1ページずつにまとめられている。

 歌集に載っている歌が殆どだが、中には、東京杉並区立、桃二小学校の校歌であったり、同区の聖心保育園主、田上格蔵の祖母=与謝野寛の妹=与謝野静の義母、田上都遊子を悼む挽歌もある。この挽歌の歌碑の除幕式の記念に、この本を頂いたのだが、そのときはざっと目を通しただけで、今年の3月、FM軽井沢で紹介するにあったって、真面目に読み直した。すると不思議なことに(別に不思議でもないけど)4月4日から7日にかけて高松の金毘羅歌舞伎を観に行くことになり、金毘羅様の参道の入口近くにも歌碑があるのを知って、歌碑めぐりをしてみる気になった。

 案内してくれた友人にも話をして、気にしながら金毘羅様への石段を登ったが、参道の入口、と書いてあるのに、300段上っても歌碑は見つからない。
女子大時代の友人、山辺さんと話しながら、トントンと、実はヨッコラヨッコラと、でも楽しくお喋りしながら降りてゆくと、石段を降りきって平らな道を少し歩いたところで、あれっと気がついた。掲載されている写真と同じ様な石灯籠が道の左右に並んでいる。細い柱状の灯篭なので目立たないが、一つ一つ辿ってゆくと、金毘羅様に向かって右側に見つかった。

 そして今日、4月7日は、知恩院に両親の回向に行った帰りに、八坂神社にまわり、一緒に付き合ってくれた作詞家の鮎川恵ちゃんが、わざわざ巫女さんに尋ねて、八坂神社の横門の外の柵の中に、黒い御影石の石柱をみつけた。「清水へ祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢ふ人 みなうつくしき」という私の好きな歌。しかも季節もぴったり! でも、どうも最近動かしたらしくて、本の中の写真とは明らかに場所が違い、植え込みの陰で歌の下にある「晶子」の文字が読みにくい。

 こういうものは、たくさんの人が見に行って、見難い見難いと言わないと、観やすい位置には戻してもらえないだろう。
世の晶子ファンの皆様には、この本を片手に先ず、自分の近辺から歌碑を尋ねて、歌碑の位置や、あるいは記述の間違いなども発行人に質して、より良いものを積み上げてゆけるよう、ご協力いただきたい。

 6月にまた、児童文学同人「バオバブ」の合宿が、京都の町屋を借り切って行われるので、その前後に京都の町を巡ってみたい。何しろ京都には10箇所以上ある。

 おなじみの軽井沢にも、すぐ近くの星野温泉にあって見た覚えはあるのだが、意識してみていないので、ちゃんと見直して、長野県内8箇所の歌碑を制覇したいと思っている。もちろん歌の内容もね・・・・ほんとかな。