『江戸切絵図 貼交屏風』辻邦生 文春文庫

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 辻邦生の作品を、落着いて読むのは、恥ずかしながら始めてのような気がする。昭和41年から活躍した作家なので、文庫版になってから読む習慣のある私にとっては、新婚の、文庫本を買うお金にも不自由していた時代だったので、もっとお馴染みの作家のものばかり読んでいたに違いない。なんだか洒落たエッセーのようなものをどこかの雑誌で読んで、「ふふーん、こういう作家か」と思い込んでしまっていた。

 ところが先週、中軽井沢の図書館でこの本を見かけて、お、私の好きな世界ではないか!と手に取り、目次に「根津権現弦月図由来」という項目を見て、根津権現が懐かしくて借りてしまった。
巻末に、あとがきにかえて、があるが、冒頭に「私は本郷西片町に生まれ」と書かれているので驚いた。私も昭和41年までは西片町に住んでいたのだから・・・・。
 「本郷もかねまつまでは江戸のうち」と言う川柳が知られているが、昭和41年には、その「かねまつ洋品店」がまだ店を開いていて、そこから本郷通りを歩いて、都電の東大農学部前停留所を左に白山の方に歩くと、右側が東片町、左側が西片町になっていた。今は東片町の呼び名が無くなって、樋口一葉の「丸山か片町か」の片町は、間違いなく西片町、と言うことになってしまっている。

 文京区立誠志小学校の裏門の隣にある実家から、富士山を眺めながら曙坂を下り、右、左と折れて柳町まで歩く途中に「一葉の井戸」があり、曙坂を降りずにまっすぐ行くと、西片町あたりの殿様の「あべさま公園」があり、その裏あたりに、漱石が下宿していたとか言う家があったような気がする。

 閑話休題。『江戸切絵図・・・・』には、江戸の歌川貞芳という絵師が、様々な思いでテーマを選び、モデルの女性を選んで事件に巻き込まれてゆく、という小品が9つ書かれている。絵師が描く過程を書いているのだが、泉鏡花が女たちの和服の柄やしぐさで物語をつないているのに比して、辻邦生は、その背景の中での女の動きを描いている。だから読者は 物語の進行と同時に、細やかに描かれた江戸の情景の中を歩き回ることができるのだ。

 多くの「江戸もの」、例えば『銭形平次』などは、当然捕手の立場から物語が書かれているが、これは、犯罪に巻き込まれる被害者や、加害者の視野で江戸の町を描いているのが興味深い

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