『もりのかくれんぼう』末吉暁子作 林明子絵 偕成社

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 軽井沢唯一の本屋「平安堂」が、今月いっぱいで店を閉めるという。まさかと思ったが、友人の車で連れて行ってもらった。店員さんに聞くと、本当の話だという。軽井沢も文化的に、どんどん低くなっていくな、と思った。
本は買う気にならず、半額だというDVDの棚から、Men in BlackとBabeを買って帰った。
 なぜかあの店は、本棚から本を選びにくい雰囲気がある。周囲がガラス張りで、明るすぎる店内が本に集中させないのかもしれない。絵本の森美術館のような、木造の山小屋風の建物だったら、もっと買いに行く人が多かったかもしれない。軽井沢は本を読みたくなる街なのだから、もっと本屋がたくさんあっても良いはずなのだ。

 中軽井沢の「佐藤書房」?は、とても良い本屋さんで、毎週山を下って買いに行っては、親子で山ほど文庫本を抱えて、坂道を登って帰ったものだ。いつの間にか、パンやさんいなってしまった。
 小学校から高校まで、毎日立ち寄った本郷八千代町の「渡辺書店」と、同じような雰囲気があった。佐藤書房の小母さんと、渡辺書店の小父さんは似ていたような気がする。平安堂の店員さんたちの顔は、なんだか覚えられなかった。
 平安堂のあとは「TSUTAYA」になるそうで、TSUTAYAも本屋だと人は言うけれど、あれは貸しビデオ屋さんではないのだろうか? 中軽井沢に良い本屋さんができると嬉しいけど、どうも皆さんは、図書館があれば本屋はいらないと思っているらしい。本屋と図書館の違いも判らないのだから、文庫と図書館の違いが分かるわけないか・・・。

 暦の上では立秋を過ぎたとはいえ、季節からいえば盛夏と言ってのいはずの8月半ばだが、今年の軽井沢の涼しさは、晩秋と言いたいほど。千ヶ滝西区のあたりは、毎朝20度から24度くらいしかない。
だから、という口実で、秋の絵本『もりのかくれんぼう』を取り上げてみた。

 兄を追いかけて生垣をくぐったけいこは、いつの間にか見たこともない森に迷い込んでいた。深い森の木々は黄葉し、シーンとして人気もない。けいこが歌を歌うと、誰かが歌い始める。どこにも姿は見えないが、やがて おいらは森に住んでいる「かくれんぼう」だよ、と、木の陰から姿を現す。
 ・・・・絵がないと、こう書くしかないのだが、かくれんぼうの姿は巧みに枝の線と重なっていて、注意深く見つめると、絵の中から浮かび上がってくる。森の動物たちとかくれんぼうを始めるけいこ。10匹もの鳥や獣たちが、逆さになったり枝のふりをしたりで、絵の中に隠れている。ざっと見ると1匹2匹しか見えない動物が、見慣れてくるとどんどん見えてくる。読んでいる子どもたちは、あ、いたちだ、あ、フクロウだ、と次々見つけ出す。

 ここで「読み聞かせのルール」なかの「書いてないことばを読まない」について考えてみたい。この本を大勢の子どもに読み聞かせるときは、そのとおり、何もことばを加えず、ただページを繰るのをゆっくり、とか、ことばの間をあけるなどで良いのだが、寝るときのように、少数のこどもに読むときは、やはり「どこにいるかな」とか「こっちにも何かいるんじゃない?」などなど、ことばが加わるほうが自然、というより、つい、そう言ってしまう。

 だいたい、我が子に読み聞かせるのに、ルールも〇〇もない。しかしルールはルール。こうしなければいけない、ではなくて、こうしたほうが良い、というだけのことだから、やはり心にかけておきたい。
この本との出会いは一度きりではない。自分の本なら、何度でも読み返したい本なのだから、一度目に読んだときに全部の動物を見つけなくても、何年もたって読み返した時に、「あ、こんなところにリスがいた!」と見つけるのもまた、その子の人生ではないだろうか。