『文人悪食』嵐山光三郎著 新潮文庫

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 37名の文士について書いているのだが、明治、大正、昭和にかけての作家が、殆ど網羅されていて、漱石、鴎外、露伴、子規、藤村、一葉、鏡花・・・荷風、茂吉、白秋、啄木、龍之介・・・川端康成、太宰治、三島由紀夫等々。私の頭にある「小説家」は全部含まれていて、中には一つか二つしか作品を読んでいない、深沢七郎とか、梶井基次郎なども入っている。なぜ、自分の読んだ作家に拘るかというと、私の憧れてきたすべての作家達の生活が、あまりにも赤裸々に描かれていて、あの美しい小説の世界が歪んできてしまったような気がしたからだ。

 この文庫本の初版は平成12年、とある。その頃は、さらっと読んでしまったらしく、最初に読んだ時の印象は、まるで残っていない。2度目は、つい1,2か月前、FM軽井沢で紹介しようと本を探していて、何かインパクトがあったと思い出して2,3日で読んだ。500ページ足らずだから、飛ばし読みをしたつもりはないのだが、放送の時は、様々な作家の、様々な食生活、そこから見えてくる個性的な?!日常生活が紹介されていると、何人かの例を挙げて終わった。が、まだ何か引っかかっていて、帰ってから、一度に一人ずつ、と決めて読み返してみた。

 すると、一人一人の作家の性格が、その食癖?から浮き出してきて、小説家は物語の神様ではなくて、個性のある、とても人間臭い人間なのだと見えてくる。そしてその作品の一つ一つは、書いたのはその作家であっても、書かせたのは神様なのだと思えてくる。神様に選ばれた代償として、それぞれが、それぞれの苦難を支払わなければならなかったのだろう。

 しかしながら嵐山光三郎は、大変な努力でこれを書いたに違いない。これは詩でも小説でもないから、巻末に蟻のような活字で列挙されている参考文献からみても、彼は神様の力を借りずに、自分の努力で、これだけのドキュメンタリーを書いたのだと思う。50歳を過ぎたら、本の好きな人は、読んでみるべき一冊。
 大丈夫よ。良い小説はこんなことで、壊されてはいませんでした。作家の実生活を知っただけで、印象が変わってしまうなら、その作品は、その作品独自の世界を作りえていない駄作、ということだから。