『おふろじゃ おふろじゃ』 江国香織訳 ブックローン出版

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 年賀状を書き終わらぬうちに、2月になってしまった。書いたのはお医者様始め先生方と茶道の友人とあと数人。300枚のうち、100枚にも満たない。一番大切な付属の友人と親戚、お世話になっている児童文学、文庫関係の知人には、「まだ」書いてない。あーあ、どうしようかな・・・。心身ともに体調が悪かったのだが、中途半端に書くと心配かけてしまうし(ちゃんと書けば、心配してもしょうがないと諦めて?くれるだろうけど)忙しかったなんて、他のことに時間をかけて、と失礼極まりないし、書かなかった理由としては嘘だし。うつ病だとは思わないのだけれど(・・・誰も思わない?)何もする気にならなくて、食事をするのも面倒くさい。

 そういえば、小学校の時、佐野顕蔵さんが「ご飯を食べるのも面倒くさい」とお母様に言ったという話を、担任の石上先生が何度も何度も(1年に10回くらいずつ)繰り返していたけれど、石上先生は、その話から、他の子ども達に何を教えたかったのだろう?何か教えたかったというよりは、食べるものに苦労して育った世代だから、食べるのが面倒くさい、ということ自体が許せなかったに違いない。あの先生が、あんなに息子を殴ると知っていたら、あのお母様も、息子の愚痴なんかこぼさなかっただろうに。愚痴というより、謙遜のつもりだったに違いない。佐野さんは頭も良かったし、優しいし、あんまり良い子だと先生もやりにくいだろうと、新米の先生を気遣ったに相違ない。

 年賀状から変なことを思い出してしまったが、昨日(1月31日)、軽井沢の中央公民館で、「地域見本市」が開催され、我が「せせらぎ文庫ネオ」もブースをもらった。2回目かと思ったのだが、多分、3回目。前2回とも、主催団体である社協の土屋慎一さんに、おんぶにだっこで、前年の「せせらぎ文庫フェスタ」の写真を渡して、ポスターを作ってもらっていた。昨年は中部小学校の校長先生に、文庫の紙芝居を読んで頂いて、それで良しとしてしまった。今年の反省としては、来年も出店するのなら、準備から関わろう、ということ。せっかく「せせらぎ文庫ネオ」を広めるチャンスを無駄にしてしまった。これでは骨折り損のくたびれもうけ(くたびれ損--なんて書いてあった!この頃、頭の中でこんがらかったままのことばが口に出てしまう。ついに、そのまま文字にするようになってしまった)。

 昨年、1,2回でも文庫に出席した日本の子どもは2,3人だけ。ISAKからきているボランティアの方が熱心だ。で、今回の見本市への参加は、ISAKの3人だけ。「国際理解」を目的にしている「せせらぎ文庫ネオ」だから、3人に着物を着せて、日本語と英語で絵本を読んでもらうことにした。選んだ本は、お気に入りの『おふろじゃおふろじゃ』。原書である英語版は、英国にいる若い友人に買ってきてもらった。イギリス版は印刷が暗く、大人向き。並べて開くと、日本語版の方が、明かに色が全体に明るい。"King Bidgood's in the Buthtub" written by Audrey & Don Wood。 ミュージカルにもなっているらしい。

 王様付きのお小姓は、お風呂から出ようともしない王様に困って、みんなに助けを求める。侯爵も王妃様も、王様を連れ出すどころか、かえって王様に湯殿に招き入れられ、ドレスを着たままお風呂に浸かってランチをしたり、戦争をしたり、魚釣りから、仮面舞踏会まで! 誰も王様をお風呂場から連れ出してくれないので、賢いお小姓はとうとう自分の手で・・・・、というお話。

 ISAKの3人は、着物が本当によく似合って、本人たちも、いつまでも着ていたそうだった。読み方も3人で相談して役柄を決め、日本語がまだ不得手な子は「はいっておいで」という王様のセリフだけだったりして、結構楽しく読んでくれた。
会場にいる間は、さほどとも思わなかったのだが、帰ったとたんに疲れが出て、送迎等、手伝ってくれた南さんの車からうまく降りられず、脚が悪いせいにしたが、どうにも動けなかった。30分で、着物を着なれない3人の子に着せるのは結構重労働だったし、前日、3人分の襟を、長襦袢代わりの浴衣縫い付けるのも、時間がかかったし大変だった。

 でも、一昨日衿付けをしている間に、道路に面した入口からベランダまで、しっかり雪かきがしてあった!「あああ、ここで衿付けを中断して雪かきをすると、そのあと手が震えて、明日までに仕上がらないな。でも、道まで出ないと車に乗れないし」と覚悟して、身支度をしてから外に出てみたら、広々と雪が掻いてあったので、本当にびっくりした。見本市で出会った時に確認したら、やっぱり真志さんだったが、雪かきの機械って音がしないのだろうか、それとも縫っているつもりでまた眠っていたのだろうか。とにかく、毎年のことだが、雪が降った後の助かった感が、毎年大きくなる。自分の力には余る仕事だとわかっているから。でも、雪が好きだし、雪の降る軽井沢から離れたくない。