『にょき・にょき』しまだ・しほ作 童話屋

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 毎月一度は必ず更新、などと言いながら、多分、まるまる1ヶ月以上、ご無沙汰してしまったと思います。実は9月に、外国のお客様80人ほどのお茶会を頼まれ、とても運良く、素晴らしい姉妹がお手伝いを名乗り出てくれて、広間で「これが茶道だ!」という席を受持ってくれたので、私は気楽にいつもの立礼席で、2人の男弟子ともうひとりの女の子、ISAK校の男の子が一人、女の子が一人、というお運びの手伝いを得て、何の苦労もなかったはずなのですが・・・。世の中、色々なことが起こるもので、「お月見」という、これも何の衒いもない自然のテーマを選んだのに、中心になるはずの「月」という銘のお茶杓がいつのまにか姿を消していて、直前にテーマを替えなければなりませんでした。

 掛軸にはISAKの卒業生に「あの月を とってくれよと 泣く子かな」という一茶の句を色紙に書いてもらって使ったので、何かもう一つ俳句か歌にしても良かったのですが、手元にあった茶杓が「老松」で、松をテーマに加えるしかなかったものですから、とっさに、いつも心の中にあった田山花袋の『林の奥』という詩をテーマにしてしまいました。

 君とかつて歩める林を/われはただひとり さまよいゆく/月も 松風も 波の音も/ひとつとして昔に変わらず/ただ変われるは君のなきのみ/恋しき君のあらぬことのみ/されどわが影を君と思えば/我はさらに寂しくもあらず/君のことのみ想いておれば/ひとりもひとりの心地はせじ/月よ 松風よ 波の音よ/我をただひとりとは思うな/哀れなる若者と思うな/おのが傍にはとこしえに/優しき君 ともなえるものを/

 この詩集は、高校生になった時、父から譲られたものです。よく父の書斎に潜り込んで、この本を読んでいたのを知っていたのでしょう。いくつかの詩には傍線が引いてあり、あそらく父はビルマで行政官をしていた時に、母を思ってこの詩を諳んじていたに相違ありません。ちなみにこの本は、母から父へのプレゼントでした。

 というわけで、立礼席の説明と、その日の会記と、この詩の英訳、というハードワークに取組んで、朝の4時頃に寝て、7時に起きて、昼間はボーっと寝たり起きたりで、頭は眠っていて、夜中の12時頃からカキーンと目が冴える、という状況でした。その後、ネットによれば12時間眠り続ける!という強い催眠剤を処方されて(今も飲んでいますが)ようやく、昼間起きていることができるようになりました。でも、本当のことを言うと、昼夜逆転したのは、もう何カ月も前から、TVの夜中のドラマやスーパープレゼンテーション、朝まで生さだや、ネットのゲームで少しずつ、ひっくり返っていたのだと思います。

 というわけで、そのお茶会の前後のFM軽井沢「魔法使いの本棚」は、さらっと済ませていたような気がします。この『にょきにょき』もそのひとつですが、主人公はジャガイモ!芽が出てしまったジャガイモが仲間外れにされて、それでもにょきにょきと芽が伸び続け「死んでやる!」と穴を掘って、自ら生き埋めになったら・・・というお話。にょきにょきと、頭から芽が伸び続け、山を登り谷を下って歩き続けるジャガイモに子ども達は大喜び。大人は大人で、チクッと胸が痛んで、最後にホクッと癒される、小型絵本です。

 今夜もまともな時間に眠ります。おやすみなさい。