『モーツアルトの目玉焼き』小田晋著 はまの出版

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 森は今、花さきみだれ/艶なりや五月たちける。/神よ擁護(これでオウゴとよませる)をたれたまえ、/あまりに幸のおほければ。// やがてぞ花は散りしぼみ、/艶なるときも過ぎにける。/神よ擁護をたれたまえ、/あまりにつらき災(トガと読む)なこそ。パウル・バルシェ(上田敏訳 海潮音)
 毎年5月になると思い出す詩だが、いつもは前半だけを頭の中で口ずさむだけだが、今年はコロナウィルスのことがあって、ことさら後半を繰り返したくなる。もう災が来てしまっているのだが、せめて、あまりにつらき、にならぬように祈らずにはいられない。若い人は、長い時間ジッとしているのが辛いだろうが、老人は普段からジッとしているので、庭に出てぶらぶらできれば充分幸せ。週遅れの母の日だと、次男の送ってくれた青い花(ノヴァーリスの小説を思いだす)に囲まれた白いバラの花束が嬉しくて、私が白バラが好きだと、息子は知っていたのだろうかと考えてしまう。そんな花束がひとつあれば、何週間でも家にいられる。本棚から取りだす黄ばんだ文庫本でも『海潮音』は、1冊目はカバーがなくなり表紙も手擦れして、これは2冊目。時間はわざわざ潰さなくても、飛び去ってゆく。

 さて表題の『モーツアルトの目玉焼き』は、昨日スペイン料理の万里先生から、戴いたばかり。ついでに、と下さったフキの煮付けの美味しかったのなんの!フキは東京にも軽井沢にもたくさん出てくるので、自分でも比較的よく煮るのだけれど、当然ながら味が違う。懐石料理は多少学んだつもりなのに、どうしてスペイン料理の万里先生の味が、こんなにも優しい出しの味なのだろう。よく見ると、太いフキはちゃんと裂いて細いフキに太さが揃えてあるし、細く切った昆布が混ざっている。目に見える部分さえこんなに違うのだから、味がぐーーーーんと違ってくるのは当然。

 そうそう、フキではなくて、モーツアルトの目玉焼きでした。シャリアピンステーキのように、これは現実にお料理に付けられた名前。シャリアピンステーキは、歌手シャリアピンに料理を供したシェフがつけた名前。モーツアルトの方は、貧しくて高価な食事ができなかったモーツアルトが、目玉焼きに卵をもっともっとと注文して、6個の目玉焼きを食べていたのだという。因みに6個が正式で、4個、5個は、「モーツアルト風目玉焼き」と呼ぶそうで、3個以下は、只の目玉焼き。「フロイト風蛤料理」は、ハマグリのバター炒めパブリカ+パセリ味。「ショパン風ポトフ」は、壺の中に魚の切り身と野菜を入れ、バター味で煮込んだもの。
 精神病理学者である作者は、食物から精神病理を解き明かしているらしいのだが、栄養素の名前等覚えられない私としては、そのエピソードだけで充分面白い。音楽家から俳人、画家、日本の小説家、武将(古代ローマから織田信長迄)各国の宗教家、頭首にまで話が及び、いじめをなくす料理などなど、様々な料理談議が最後まで続いている。今日のFM軽井沢で紹介したのだが、とても15分では語りきれない。まだ10枚も付箋が残っている。