池波正太郎著『チキンライスと空の旅』朝日文庫『ル・パスタン』文春文庫

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 どちらもエッセー集だが、チキンライス・・・の方は、著者の幼い頃からの思い出、というよりも生活が描かれていて、その頃の時代考証のようにも読める。
 大正2年生まれの池波正太郎は、私より18歳年上?だったわけだから、人生の大半はかぶっているのだろうが、戦争前(第二次世界大戦デス)に成人しているのと生まれただけ、というのでは、大分世界観というか、人生観が違う。しかも私は生まれてから終戦まで、爆撃のない京都で暮らしていたので、戦争は空高く飛び去るたった1機のB29しか記憶にない。「警戒警報発令!」という声がきこえると8畳間に入って伏せることになっていたが、1歳下の従妹が上向きに寝て、大人の人が慌てて裏返しにしていた事くらいしか覚えていない。庭は畑になっていて、夏には麦踏をした写真と、サツマイモのカレーを前に「いただきます」と手を合わせ、まだかしらと、そっと目を開けたところを狙っていたカメラマンにシャッターを押された写真が、多分、毎日新聞に、載った。その頃が一番幼い記憶だが、一生懸命目をつぶっていたのに、ちゃんと幼い子の心理を読んでいるカメラマンが捉えてしまった瞬間とシャッターの音が、その日の新聞の写真とともに、くっきりと記憶に残っている。板塀の節穴から見えていた隣の学校は、ろうあ学校だと
聞いていたが、灰色の制服を着た坊主頭の男の子たちが、いつも畑を耕していて、向こう側からは目玉しか見えていないはずなのに、ある日、しっかりとした顔つきの、今考えればかなりハンサムな日本男児にキッと睨まれて以後、その節穴には近づかないようになった。

 自分の思い出ばかり書いてしまったが、チキンライスに戻ると、40章くらいになっていて、音楽のこと、絵のことから始まって、家族のことが一番多いが、家族を通して時代が感じられる。東京の下町の家族の暮らしは、こんな風だったのかと興味深い。とりわけ芝居の世界も描かれていて、『鬼平犯科帳』中心の池波世界しか知らなかったので、芝居の脚本の方が本職だったと書かれていて、歌舞伎も芝居も、プログラムはずいぶん読んでいるはずなのに、活字を読み飛ばしている自分が恥ずかしい。絵本でさえ、表紙をちゃんと読まない癖があったのだから・・・。
 オリンピック前の日本橋の美しさをはじめ、東京の街並みの粋な様子も書かれていて、そうそう、そういえば、と思い出すことも多い。その中で友人の性格の良い息子が「月夜の晩にいくつもの橋を渡って歩き回っている時の気分の良さときたら・・・」という父親の話に「橋を渡って気分がいいなんて、どう考えても分からないな」と首をひねった、という話に共感した。どちらに共感したかと言えば、どちらかと言えば息子の方で、私の学生時代には、まだ、川風に吹かれながら渡れる橋もあったが、現在では車に隅っこに追いやられ、高いコンクリートの壁で川面も見えない橋ばかりだなあと、思うからだ。

 さて『ル・パスタン』の方は、同じエッセーだがカバーも中身も全然違う。挿絵も著者が描いているが、なかなかお洒落な絵でカラーが多い。ヨーロッパ旅行や、映画、特に洋画の評論が多く、親の世代が話していた女優や俳優のエピソードが次々と出てくる。
 いずれも、あまり考えこまずに気軽に読めるエッセー集で、コロナ期にはぴったりの読み物である。