せせらぎブログ

2007年の春正式に名前を決めた「国際子ども文庫の会(略称ICBC;International Children's Bunko Circle)」の初仕事として、軽井沢千ヶ滝西区の公民館に「せせらぎ文庫」を開設するお手伝いをしました。せせらぎ文庫の特徴は、子どもと両親と祖父母の3世代が一緒に楽しめる本揃えで、このブログではこれらの本の紹介と心に浮かぶヨシナシゴトをそこはかとなく綴ってゆきたいと思っています。 小林悠紀子

2020年9月13日

『まぼろしのおはなし』ワールド ライブラリィ刊

 作家ハイメ・ガンボアも絵ウェン・シュウ・チェンも、コスタリカ出身で、チェン氏は建築家であるという。なるほど、と思った。表紙も中表紙も、白い厚紙で作った建築物の内側の様。お話が始まっても、図書館の中に何人かの子ども達も真っ白。 そこにファンタジックな虹色の鳥や子どもの姿が、ところどころに飛んでいる。主人公は、図書館にいるのに、誰も読んでくれない、気の弱い本。ところがある日、一冊一冊指で触れながら探している女の子に出会う。実はこの本は、点字の本だったのだ。

2020年9月 9日

『明日はいずこの空の下』上橋菜穂子著 講談社文庫

 上橋菜穂子といえば『精霊の守り人』シリーズをはじめ、日本の少年少女にとっての『指輪物語』のような大河ドラマの作者で、いつの間にか現れ、次々と、大人も夢中になれる作品を書いてくれた偉大な作家だ。なので、敬遠でもないが、きっと話しかけても適当にスルーされるタイプだと思いこんでしまっていた。だから、昨年だったか?コロナの所為で月日の感覚がなくなってしまったが、国際アンデルセン賞受賞の後、JBBYの何とか賞も受けられて、その集まりに参加したので、当然お見かけしたが、それまでお話したこともなかったので、お祝いのご挨拶もせず失礼してしまった。
 この本を読んで、あ、しまったことをした、と後悔した。お見かけしたところ、とても親しみやすいタイプの女性で、親しいご近所というタイプだったので、自分の思い描いていた上橋菜穂子とは、全然違っていて、かえって、なんとなく、近寄れなかったのだ。 絵本も含めて、児童文学の作者は人が良い。誰かに親切にしたくてたまらない人達の集まりである。だからJBBYの会合に出たら、なるべく有名な作者に声を掛けたほうが良い。あまり書けない作者より、良い作品を書いている作者の方が、間違いなく優しい。
 閑話休題。その、上橋菜穂子のエッセーというのは読んだことがなかったので、『明日はいずこの空の下』という題名にも惹かれて、ページを開いた。外国旅行の話が中心だが、その土地土地の著名な物語を中心に語られるので、知らない旅行話ではなくて、よく知っている街を一緒に旅をしている気分になる。読み進むと、殆どが、影響を強く受けて育ったお母様との旅行であったことがわかる。本の終りに近づくと、お母様が今もお元気だろうかと気になって、発行年月日を確かめてみた。確かめるまでもなく、最後まで読むと、癌と闘いながら、明るく二人旅を楽しまれたお母様が寿命を全うされたことも書いてあった。とても親しい友人の、旅の話を聞いているようなエッセーだった。またいつか、JBBYの会で、お目にかかることがあるだろうか。本をたくさん読んでいる人なら、きっと誰でも、著者と話をしたくなる、エッセー集である。
 

2020年9月 2日

『ふしぎな500のぼうし』ドクター・スース作 わたなべしげお訳 偕成社

 ダーウィン王が治めるデイッド王国に住んでいるバーソロミュー・カビンズという男の子は、おじいさんがかぶり、お父さんが被った古い赤い帽子を1つだけ持っていて、1本だけ羽がピンと突っ立っているその帽子が大好きだったので、その日も、その帽子を被って町までツルコケモモを売りに行った。すると通り過ぎた王様の馬車が戻ってきて帽子をとれ!と怒鳴られる。バーソロミューはもうとっくに帽子は脱いでいるのに、と思うのだが手にも帽子を持っているのに、頭の上にもある。両手に帽子を持っても、まだひとつ頭の上にある。ダーウィン王はカンカンになって、バーソロミューをお城に引っ立てィということになる。ところが隊長の馬に乗せられて走る間にも、帽子はどんどん風に飛ばされ、次々頭の上に現れる。王様に出会ってから、王様の前でもう1度帽子を脱いで、次々と周りに転がった帽子を数えると135個になった。王様は帽子屋を呼んで脱がすように命じるが、また生えてきて、三代の博士を呼んでも役に立たない。王様の甥のウィルフレッドという悪い子が、弓の練習に帽子を射落とそうとするが落とされた帽子が154に増えただけ。とうとう首を切られることになって、バーソロミューは帽子を自分で脱ぎながら地下牢への石段を下りるが、首切り役人は、王様の作った規則で、帽子を脱いだ人の首しか切れない、という。
 せっかく助かるかと思ったのに、甥っ子のウィルフレッドは高い塔の上から突き落とせば良いと提案して、塔の上に連れてゆく。バーソロミューは347個から、また数えながら塔の石段を上ってゆくが、451番目から帽子の羽が増え始め、ウィルフレッドがまさに突き落とそうとしたとき、500番目の見事なダチョウの羽の帽子が現れ、王様は500枚の金貨で、その帽子を買い取る、という話。・・・簡単に言うとね。これでも。

 絵本というより、イラストの多い読物と言いたい文章量なのだが、渡辺茂男の訳で、するすると読めてしまう。子ども達に人気のあるドクター・スースの絵は、帽子の赤だけに色がついて、次々と生まれてくる赤い帽子が楽しい。50年以上も子ども達に愛されているドクター・スースの絵本は、どの1冊をとっても、物語に類似性がない。すぐにシリーズ化してしまう日本の絵本作家は、作家自身が悪いのか、出版社が悪いのか・・・・。

『あるかしら書店』について、の続き

 上の血圧が190というのは、割に慣れているというか、あまり驚かないのだが、下が110というのが続いて、ちょっと慌てた。東京医大の先生に言われていたのを思い出して、アジルバ、という薬を、10㎜多く飲むことにした。31日は夜飲まないはずのところを10㎜、9月1日は朝30㎜のところを40㎜、夜更に10㎜だから1日では20㎜多く飲んだ事になる。9月2日、つまり今日は朝測ったら上が150台、下が80台だったが用心のため40㎜のみ、夜23時に計ったら130台だったので、もうアジルバを増やすのはやめにした。まだ、胸が少し痛いが、明日と明後日、外出せずに休むので、大丈夫だと思う。でも、昨日、知らない方から電話があり「今日はお店は開かないのですか。何回来ても締まっているから」と言われてしまった。申し訳ないと思いつつ、ちょっと嬉しい。血圧が落ち着いたら、「魔女の蚤の市」も頑張ります。

 さて、この本は、漫画と書いたが漫画とうよりも全部イラストで説明されている。あ、説明されているのではなくて、絵で語られている。だから小学生でもわかるだろうけれど、大人が理解するのを作者の意図の98%とすれば、子どもが面白さを理解するのは60%以下だろう。大人の洒落のきいた内容なので。

 先ず、目次より前に、「この本(店)は『本にまつわる本』の専門店、とあり、「〇〇についての本ってあるかしら?」ときくと、たいてい「ありますよ」と言って、奥から出してきてくれる、と説明している。
目次は書棚の絵で、様々な色と形の背表紙が、7つに分類して置いてある。『作家の木の育て方』『カリスマ書店員養成所の1日』『大ヒットしてほしかった本』等々。

 中でも『本とのお別れ請負人』は身につまされる。本に囲まれた男を髭の老人が訪れ、貴方は素晴らしい本をお持ちだが、このままでは傷んでしまうと言い、この本を選んだあなたのセンスを本棚ごと、最高の環境で保管したいと口説き落とす。奥さんは何やらレシートを受取り、「持主の心のケアーを第一に、ハートフル古書流通」と書かれたバンを件の髭の老人が運転して去る、という見開き1ページの漫画になっている。

 カバーの両側の羽で、『バタ足入門の本』は、子どもが本を閉じると水泳板になっていて、プールの中でバタ足の練習を始める、というのと、『ちょっと大きくなれる本』は、小さい子が、その本を椅子の上に載せて、その上に坐ると、ちょっと座高が高くなって、テーブルで食事を始める、という2冊が、わずか6コマの絵で語られている。

 ペン画ににちょこちょこッと色が付いているので、何やら楽しく、あっという間に読んでしまって、もう一度ページを繰ってみたくなる、新しいタイプの本。
                                                               

2020年8月31日

『あるかしら書店』ヨシタケシンスケ作 ポプラ社

 美味しいお弁当と共に、またしても万里先生に数冊の本を頂いてしまった。「子どもに読まれてるそうだけれど、これは大人が・・・」というコメントだったので「ん?」と思ったら、帯に25万人の小学生が選んだ、とある。うっそだあ、と思う。「子どもの本、総選挙」とやらで選ばれたとしても、それは内容が面白いというのではなく、漫画だから他の本より読みやすい、分かり易い、というより、分かったような気持ちになりやすい、んだろうと思う。
 漫画だから、ではなく、読みやすいのだろうと思う。

実は昨日から血圧が急に上がって、190の110になった。手持ちの薬を10㎜増やして飲んでいる。今朝は3日目で心配していたが、160まで下がった。・・・というわけで、またしても眠り姫病で、現在、ひどく眠い。だから、続きは、また、あとで。

2020年8月23日

『こぶたたんぽぽぽけっととんぼ』馬場のぼる作 こぐま社

 同じ作者と出版社で、『ぶたたぬききつねねこ』というのがあるが、それはクリスマス用?で、最後の「まく」を開けると、たしかクリスマスツリーがあって、パーティが始まるんだったと思う。この本も、中表紙を開けると、見開きに豚と狸と狐と猫がいるが、4匹ともちょっとどん臭い。よくもコう、さりげなくあか抜けない母親世代を描けるものだと、妙なところで感心してしまった。
 しりとりはもう始まっているのだが、次の頁からストーリーが始まり、可愛い「こぶた」が「たんぽぽ」を見つけて、それを「ぽけっと」に飾る。次の頁で「とんぼ」が飛んでいるので、「ぼうし」を脱いで捕まえようとするが、飛んで行ってしまう。その飛んで行った青空に「しゃぼんだま」が流れて、しゃぼんだまを飛ばしているのが「まめだぬき」と、しりとりのことばでストーリーがつながってゆくが、きのこ、仔狐、ネックレス、スケートボード、どろんこ、仔猫、粉、涙、ダイヤモンド、どんぐり、リス、杉の木、キツツキ、恐竜、馬、マイク、車、マットレス、スカンク、靴、釣り竿、鬼、にわか雨、迷路、ロバ、バナナ、菜の花、縄跳び、ビデオ、鬼ごっこ、コアラ、ラジオ、おんぶで終わるが、子ども達は迎えに来たお母さん達におんぶされて、遊び疲れて背中でぐっすり眠っている。子ども達にとっても、お母さん達にとっても、理想的な一日がしりとりで語られている。
 ことば遊びには色々あるが、しりとりが一番単純で心配事なしに、子どもも大人も一緒に楽しめる。特に、子どもと年寄に語彙力をつけるのに良い。この本1冊読むだけでも45、50近い語彙が広がる。果物、文房具、など範囲を限って縛りを入れれば、いくらでも高度なゲームになるが、なにも範囲を決めず、自由に思いつくことばで遊んだ方が、心も頭も豊かに、健康になる。本は語彙を増やすために読むものではないが、本を読めば確実に語彙が多くなる。

2020年8月21日

池波正太郎著『チキンライスと空の旅』朝日文庫『ル・パスタン』文春文庫

 どちらもエッセー集だが、チキンライス・・・の方は、著者の幼い頃からの思い出、というよりも生活が描かれていて、その頃の時代考証のようにも読める。
 大正2年生まれの池波正太郎は、私より18歳年上?だったわけだから、人生の大半はかぶっているのだろうが、戦争前(第二次世界大戦デス)に成人しているのと生まれただけ、というのでは、大分世界観というか、人生観が違う。しかも私は生まれてから終戦まで、爆撃のない京都で暮らしていたので、戦争は空高く飛び去るたった1機のB29しか記憶にない。「警戒警報発令!」という声がきこえると8畳間に入って伏せることになっていたが、1歳下の従妹が上向きに寝て、大人の人が慌てて裏返しにしていた事くらいしか覚えていない。庭は畑になっていて、夏には麦踏をした写真と、サツマイモのカレーを前に「いただきます」と手を合わせ、まだかしらと、そっと目を開けたところを狙っていたカメラマンにシャッターを押された写真が、多分、毎日新聞に、載った。その頃が一番幼い記憶だが、一生懸命目をつぶっていたのに、ちゃんと幼い子の心理を読んでいるカメラマンが捉えてしまった瞬間とシャッターの音が、その日の新聞の写真とともに、くっきりと記憶に残っている。板塀の節穴から見えていた隣の学校は、ろうあ学校だと
聞いていたが、灰色の制服を着た坊主頭の男の子たちが、いつも畑を耕していて、向こう側からは目玉しか見えていないはずなのに、ある日、しっかりとした顔つきの、今考えればかなりハンサムな日本男児にキッと睨まれて以後、その節穴には近づかないようになった。

 自分の思い出ばかり書いてしまったが、チキンライスに戻ると、40章くらいになっていて、音楽のこと、絵のことから始まって、家族のことが一番多いが、家族を通して時代が感じられる。東京の下町の家族の暮らしは、こんな風だったのかと興味深い。とりわけ芝居の世界も描かれていて、『鬼平犯科帳』中心の池波世界しか知らなかったので、芝居の脚本の方が本職だったと書かれていて、歌舞伎も芝居も、プログラムはずいぶん読んでいるはずなのに、活字を読み飛ばしている自分が恥ずかしい。絵本でさえ、表紙をちゃんと読まない癖があったのだから・・・。
 オリンピック前の日本橋の美しさをはじめ、東京の街並みの粋な様子も書かれていて、そうそう、そういえば、と思い出すことも多い。その中で友人の性格の良い息子が「月夜の晩にいくつもの橋を渡って歩き回っている時の気分の良さときたら・・・」という父親の話に「橋を渡って気分がいいなんて、どう考えても分からないな」と首をひねった、という話に共感した。どちらに共感したかと言えば、どちらかと言えば息子の方で、私の学生時代には、まだ、川風に吹かれながら渡れる橋もあったが、現在では車に隅っこに追いやられ、高いコンクリートの壁で川面も見えない橋ばかりだなあと、思うからだ。

 さて『ル・パスタン』の方は、同じエッセーだがカバーも中身も全然違う。挿絵も著者が描いているが、なかなかお洒落な絵でカラーが多い。ヨーロッパ旅行や、映画、特に洋画の評論が多く、親の世代が話していた女優や俳優のエピソードが次々と出てくる。
 いずれも、あまり考えこまずに気軽に読めるエッセー集で、コロナ期にはぴったりの読み物である。
  

2020年8月14日

『あやかし草紙』宮部みゆき作 角川文庫

 しばらく子どもの本が続いたが、まさかその間、本を読んでなかったわけではない。スペイン料理の万里先生からモーニングティーのお誘いのついでに、たくさん本を頂いて、読みふけっていた。この本の他に池波正太郎が2冊と、楽しみに取ってある佐野洋子の分厚い読物が一冊。この宮部みゆきも池波正太郎の一冊も久しぶりの時代小説を楽しむことができた。

 神田にある袋物屋の三島屋で、変わった「百物語」が続いている。普通、百物語というと大勢の人が蝋燭をともして集まり、ひとつ物語をするたびに、蝋燭を一つずつ消してゆく。100人が語り終わると真っ暗になり、何かが起こる・・・、という遊び?だが、三島屋の百物語は、主人の姪のおちかの気晴らしに、と計画されたものだった。万一の用心に控えの間に人がいるが、聞き手はおちかひとり。聞いた話は誰にも言わず、闇に葬る、というう約束で、様々な人が、人生の重い話を聞いてもらって、心を軽くする、という設定である。この一冊には5つが入っている。

 第一話の「開けずの間」は、商家に住み着いてしまった「行き逢い神」の話。自分の恋のために、行き逢い神に願をかけてしまった娘のふとした行いから、身内に次々と不幸が訪れ、願いをかなえてもらうには、誰かの命を差し出さねばならず、家族の命がおどろおどろしく失われてゆく。次男が殺してしまった長男を、お上に店を潰されないために、気の病の娘の命を差し出して生き返らせてもらうが、一度死んだ長男は、ただ呼吸しているだけで死人のまま、という一場が生々しくて怖ろしい。
 控えの間で聞いていた奉公人の髪が白くなって、そのまま抜ける・・・。宮部みゆきらしいというか、3㎝もある分厚い文庫本を、一日半で読んでしまった。久しぶりに、読み応えのある娯楽本だった。

『わたしの』三浦太郎 こぐま社

 まず、「おおきい いす、ちゅうくらいの いす、ちいさい いす」の絵と文字があり、次の頁には「ちいさい いす わたしの」とある。お茶碗の大中小、歯ブラシの大中小、靴の大中小で「小さいのは私の」と意識付けたあと、大きいバナナ、中くらいのミカン、小さいイチゴ、私のどれかな、と読者を、迷わせる。ページを開くと、小さいイチゴ、私の・・・となり、悲しい気持ちになるが、最後に「ぜーんぶ わたしの」で、読み聞かせをしている方も、ともどもホッとする。
 幼い子は、大人が思う以上に、物事をよく理解している。いい加減な本を、いい加減な気持ちで読むと、その時は喜んでいても、後で混乱するので、子どもが幼ければ幼いほど、親はまともに向き合って本を選び、本を読んでやりたい。
 とはいえ、真剣に向き合うほど暇がない、と、投げ出しては困る。要は常に子どもに誠実であってほしい、ということ。

 例えばこの本を読んだ後に『3匹のくま』を読めば、ゴルディロックスが1番小さい椅子に座り、一番小さなお椀のおかゆを食べ、一番小さなベッドに寝ているお話が、とても身近に感じられるだろう。親になるまでに、どれだけたくさん読んでおけるかによって、子どもに選んでやることの出来る範囲が決まってくる。子どもがお話を聞いてくれる日々は、すぐ去ってしまう。宝物のような時間を逃さないように、たくさん本を読んでおこう。子どもの本ばかりでなく、面白い本を、手あたり次第。

2020年8月 8日

『そらから かいじゅうが ふってきた』後日談

 後日、と言っても、ほんの昨日の今日だが、せせらぎ文庫のサテライト、「真面目な魔女の蚤の市」に今日も出勤したら、もう帰ろうかな、というくらい手応えのあるお客がなかったのに、6時過ぎにひとり、美女が100円ボックスにしゃがみこんだ。見ていると、カードの箱をかき回している。あ、買う気のある人だな、と嗅覚鋭く店のガラス戸を開けて(コロナで開けっ放しにしているのだけれど、今日はさすがに暑くて27℃、冷房を入れたので閉めていた)どうぞ、というと、中も見て良いですか、と入ってきた。関西の小学校の先生だそうで、日本語の絵本を2冊買ってくれたのだが、先生と聞いて怪獣が降ってきた話をした。「先生が真っ先に逃げて、校長も教頭も逃げたっていうんですよ」といったら「子どもが喜びそう」という。「え?子どもに受けるんですか?先生が逃げるって、ありえないでしょう?」といっても「ええ」と笑っている。・・・・そうなのか、子どもに受けるのかあ・・・。空から怪獣が降ってくるっていう発想が良いから、先生が逃げるってとこだけ変えられないかな、などと考えていたのだが、やっぱりそこが売りだったらしい。でも、ボクが怪獣を叱りつけて、後片付けをさせる所も面白いし、降ってきた怪獣が、棘を刺して暴れることもできずに去ってゆく、というのも安心して楽しく読める、と思ったのも、やっぱりおばあさんの事なかれ主義からきているのかなあと、妙に考え込んでしまった。

 自分が良い先生に恵まれていたから、とんでもないことだと思うのだが、考えてみれば息子の小学校の先生に一人、怒っている父親に会うのが怖くて、子ども達だけに謝らせた先生がいたな、と思い出した。「私が行くと、かえって危ないと思って」と言われて、役員だった母親一同、目を見合わせて口を開いたままだった。まさに呆れて声も出なかったのだが・・・。

 1日外出すると、翌日は体中が痛んで使い物にならないので、金土日月と4日続く出勤日は無理、と、たった4日の開店日も、適当に休みながら店を開けていたのだが、7月26日と8月1,2、と続いた「沓掛マルシェ」に皆勤したら、「ああ、やっと魔女に会えた」「いつ開いてるのかしらと、何回も来てみたんですよ」と何人かの人に言われたので、ちょっと反省して、今日はひどく体調が悪かったのだが、多少無理して出かけた。商売にはならないと決まっているので気軽に休んでいたが、やはり、ボランティアというのは真面目にやらなければ、と、ちょっと反省。無理してでも出かければ、こうして良い出会いがあるのだから。あの先生があの絵本を読んで、子ども達にどんな話をするのだろうと、いろいろ想像して楽しんでいる。

 『そらから かいじゅうが ふってきた』は売っていません。私の本棚に、ちゃんと納まっています。念のため。