先月、例の千歳書房で、ごく自然に、何気なく、当然のように買って、読みだしてから驚いた。徳岡孝雄、は、かの檄文を結構前日に渡されるほど、三島由紀夫に信頼されていた、当時毎日新聞の記者である。そしてドナルド・キーンは、自決の後、机の上に残されていた2通の手紙の内1通を受けっとった、これも信頼される友であった。三島とキーンはずいぶん古い付き合いで、『豊饒の海』の取材旅行を共にしたというから、その時既に、心の触れ合う友であったのだろう。
この本は、キーンと旅行して、三島の記事を書いてみてはどうかという編集からの指示で、良い機会かも、程度に出かけた京都方面への旅で、共通の友であった三島の思い出を語りつつ、急速に親しくなっていった徳岡とキーンの旅行記である。旅行記と言っても、風景のことなど関係なく、『豊饒の海』の書かれた背景や、三島の思い、ひいては三島が影響を受けた鴎外と泉鏡花、三島の好んだ日本文化、特に様々な歌舞伎や舞台を語って尽きる所がない。
本文は徳岡が書き、キーンさんはこう言った、というように、随所にキーンの意見や思いを書いているが、キーンのあとがきに、私は色々なつながりを知らされた。
もう疲れてきたので、この辺でやめるが、三島由紀夫夫人とは父方の遠縁にあたり、祖父の葬儀には喪服姿で、ひっそりと臨席して下さったこと、三島氏自身にも、学生時代、日生劇場の杮落しにアルバイトでアンケートを求めて言葉を交わしたこと、などなど、個人的なつながりを思い起こした。
千歳書店は、千歳船橋の駅近くの不思議な本屋で、いつも不思議な出会いを用意してくれている。
なんだか本当に疲れた。一昨日、亡くなった人たちが明け方の夢に現れて、一緒にドライブした。その時は天空の高速道路を走っていて、空の上の家でいろいろ準備したが、今回はこれでいいからと、地上まで送ってくれて目が覚めた。その日から血圧が190を越え、薬の飲み間違えと気付いて、ケースの薬を入れかえたが、少しずつ下がってはいるものの、まだ160台。次のドライブでは、家まで送り返してもらえないかな、と思っている。
この本は、福音館書店からの新刊案内で見つけて、アマゾンで取り寄せてもらった(まだ自分では、取寄せたことがない・・・)。大体、本は目で見て、手を触れて選ぶものだと思っているから、どこの新刊案内でも、出版社からの案内で取り寄せたことなどないのだが、『海外子女教育』に、たまには新しく出版された本を紹介したかったのと、なぜか、この本は間違いない、と思ってしまったので、急いで購入した。
初めは福音館書店の宣伝部?に、紹介文を書くから、ということで、着払いで送ってくれる様依頼したのだが、もう今の私を信じてくれる人が福音館にいなくなってしまったようで、本屋に行かれないならアマゾンで取り寄せるように、とひどい事を言われた。なんだか、ガックリしたが、本が届いたら、そんな事はどうでも良くなった。
さすがに安野光雅!という本で、『海外子女教育』への第1稿に、「数学者の安野氏ならではの」と書いたら、ICBCのメインスタッフである吉沢さんと杉山さんから、早速「数学者」はいかがなものか、とメールが入った。調べてみると、数学者の藤原先生に可愛がられたという記録はあるが、彼自身は特に数学の専門教育を受けているわけではない。森毅と組んで、或いは安野氏だけで、勝れた数学絵本をたくさん書いているが、確かに数学者、とは言えないのかもしれない。(しかし、学者、という表現には、何らかの資格が必要だとは思えないのだが、編集に言われて修正するよりは、通常から、仲間内で校正しあってから編集にだしているので)と思い直して、「数学に明るい」に変更した。どうして数学に拘ったかというと、このしりとり絵本は、統計学が身についてないと、とてもできない構成になっていて、見開きにごとに15,6の絵が描かれていて、それを選んでしりとりを続けていくと、最後の頁は「ん」で終わる6つの品物に導かれて、終結する、という仕組みになっている。
ところがここで、このパソコンにも入り込んでいるらしいサイコパス野郎の悪戯でうんざりして、あとは任せるから、このまま出して、と言いおいて、体調が悪いことでもあり、私は降りてしまった。ところが一番読者に分かり易い「かれーらいす」で始めた私のしりとりが、他の2人には上手く終了しなかったようで、なにやら「えもんかけ」が出てきたりして、結局編集に色々いじられ、前号に続いて、私の文章ではなくなってしまった。
という事件が起こり得るほど、ことばの糸が絡み合っていて面白い。子どもは案外、単純に絵を見分ける能力を持っているから、素直に最後まで行きつくのだろうが、大人は集中しないと、途中で行き詰まる。一つのページに同じ文字で始まることばが幾つもあって、たとえば「ばんぺい」などということばに、英国の衛兵交代の「ばんぺい」の絵が描いてあるので、大人はつい、番兵を見落としてしまう。
でも、途中で詰まったら、ページを戻って探し直すと、かならず「ん」のことばに行きついて、「アハ効果」で、すーっと気持ちが良くなること請け合い。家族でも、恋人同士でも、勿論一人でも楽しい。
こういう本を良い本というのだろう。
佐々木マキは、本が出始めた頃から気に入っていたのだが、なぜか女性だと思い込んだ。佐野洋子に似た、ピリッとワサビの効いた絵が大好きで、ほっそりして、足の長い、スタイルの良い女性を頭に描きながら読んでいた。ところが何かの番組で、ほっそりしたオジサンであることを知って、なあんだ、そうだったのかと、それもまた、なぜか納得してしまった。知人も、えッ、男の人なのォ、と言っていたから、マキという名前の所為もあるだろうが、鋭い女性の感性が感じられる絵なのだと思う。
で、この『へろへろおじさん』も、表紙の、歩いているオジサンの足元に、青い小鳥が何やら考えながら歩いている絵を見ただけで、既に私の佐々木マキだなあ、と思えてしまう。
とにかくこのオジサン、いえ、佐々木マキではなくて「へろへろおじさん」ですが、運が悪いというか、間が悪いというか、たかがポストに手紙を入れに出かけただけなのに、階段で滑り落ちるは、頭の上から汚れたマットが落ちて来るは、ちょっとショウウィンドウを覗いている隙に足に犬の引綱を巻かれて道を引摺り回され、帽子は車に轢かれ、最後はとうとう、豚追い祭りの豚の群れの下敷きになっても、健気にもよろよろと立ち上がり、ポストに手紙を投函した次第。ところが一仕事済んだとアイスクリームを買うと、木陰のベンチに行く途中でぽたりとアイスクリームが地面に落ちるというおまけつき。ここでオジサンの気力もついにポキリと折れて、ベンチに座って泣き出してしまうが・・・。最後に天使の救いがあるのであります。
やっぱり、佐々木マキって良いなあ。
昨年の夏、図書館友の会の会合が軽井沢某所で開かれた。コロナ禍の中、レストランの中ではいけないかと、エントランスの庭園部分にテーブルと椅子を散在させての軽食で、文字通り三三五五の集まりだったが、偶然にも平賀さんと同じテーブルになり、平賀源内との関りから始まって、シャーロック・ホームズのお話を、ゆっくり伺うことができた。その時頂いたのが、この一冊。
物語ではないから、一気に読めるはずもなく、だからと言って興味深いので、手元に置いて、気の向いた時に気の向いた章からパラパラと、色々な栞をはさみながら読んでいたら、いつの間にか半年が過ぎて、読むページがなくなってしまった。全部読んでも、繰り返し開いてみたくなるので、昨日の日曜日、FM軽井沢で紹介して、これでひとまず2階の本棚にしまいこみたいと思う。
ホームズの事件簿に関わるあれこれが、101項目にわたって書かれているのだが、ホームズファンでなくても面白く読める。特にロンドンの街についての項目が多く、なつかしいあれこれが沢山出てくる。ローストビーフで有名なレストラン・シンプソン、『マイフェア・レディ』との関り、スコットランド・ヤード・・・。私がロンドンにいた頃は、と考えてみたら、もう半世紀も昔の事なのだが、その頃はまだ、スコットランドヤードの真向かいに、コベントガーデン劇場があって、オペラがはねて外に出ると、びっしり埋まったお迎えの車とタクシーを、お巡りさんが沢山出てきて交通整理をしてくれていた。イライザが花を売っていたコヴェントガーデン市場が、まだそのまま残っていたから、着物を着て、ちょっと気取ってタクシーを止めて「コヴェントガーデン迄!」というと「ジャガイモを買いに行くのかい?」とドライバーがお決まりのジョークを返してくれた。
帰国してからも、JBBYのコングレスがある度に、帰りには必ずイギリスに寄ったので、コベントガーデン市場が、スマートなアーケードに纏められてしまったのが、ちょっと寂しかった。あまり変わらない街ロンドンも、やはり少しずつ変わって、だんだん見覚えのない街になってしまうのかもしれない。私の好きだったウォーレスコレクション美術館についてまで書かれているので、お気に入りのロンドン案内にもなる。昨日のFM軽井沢では、ホームズの部屋が残っているベーカー街には、日本貿易振興会のオフィスがあることを紹介しておいた。小学生のころ、緑色のカバーのかかった全集で読み始めたホームズの事件簿に、70年もたった今、また出会えたわけである。
明けましておめでとうございます。とっても、ゆったりしたお正月を過ごしています。例年だったら、人に会う予定がなくても着物を着て優雅に過ごすのですが、今年は暮のギリギリに、熱海まで内視鏡検査を受けに行ったりしていたので、なんとなく、お正月気分になりきれず、ブログを開いてみました。
もっといろいろな方に読んでほしいと思う本はたくさんあります。誰にも話さないうちに、記憶が薄らいで、忘れてしまうのです。昔は良い本を読んだ感激を忘れるようなことはなかったのに。お正月早々愚痴ってもしょうがないので、忘れないうちに、焼き芋の話をご紹介します。
みやにしたつやの絵は、覚えてしまうと、本屋さんでもすぐ見つかります。ピカソ風というとイメージが違うのですが、動物の横顔に、目が二つ描いてあって、ちっとも不自然でなく、正面から見た動物の表情がわかるのです。あら不思議。
で、この本の主人公はブタ君、相手役がおおかみ君。狼君が自分の持っている焼芋を、豚君の持っているお握りと取替えて!と言っておいて、お握りをその場で食べ、焼芋を豚君に渡さずに行ってしまったのが事件の始まり。
その話を聞いたネズミ君は、お握りを食べてしまった狼が、豚の焼芋を取って逃げた、と誤った事実を告げ、それを聞いた兎は、狼が豚をお握りに変えて、そのお握りを食べているうちに焼芋に変わった、と猿に告げる。猿は狸に、豚がお握りを持っていたら狼に変身して、その狼がお握りを食べたら、狼が焼芋になった、と話す。狸はカバに豚がお握りを狼に変え、その狼が豚を食べようとしたら、豚が焼芋になったと言う。その話を聞いたカバが走ってゆくと、丁度、狼が焼芋を食べようとしていたので、「ぶたくんを たべるなー!」といって狼から焼芋を取り上げ、「さあ、ぶたくん、おうちにかえろうね。どうしてやきいもなんかに なっちゃったの」といいながら、豚君の家に着くと、そこにぶたくんが居て、「じゃあ、この やきいもは だれ?」、というお話。
ぼんやりしながら読み聞かせをしていると、聞いている子どもも訳が分からなくなるから、ちゃんと下読みをして、段取りを理解してから、読み聞かせをすること。でも、読んでいて、なんだか楽しくなる本。
我が家にとっては、幻の愛読書なのだが、半世紀近い昔、子ども達のお気に入りで、表紙もとれ、ボロボロになって、彼らが絵本を卒業する頃、いつの間にか姿を消した。といっても子ども達の所為ではない。私自身も気に入っていて、出たばかりのカラーコピー機を、試してみないか、と言われた時に、すぐ思い出して、一冊分コピーした後になくなったのだから、私が仕舞いなくしたに相違ない。と、こだわりたくなるほど村上豊の絵が心に残っている。もう一冊買えばいいと言われそうだが、コピーしたころには既に絶版になっていた。なんとか再販してほしい一冊である。多分、理科の先生あたりからクレームがついたかな、と思わなくもないが、絵ばかりではなく、テーマも良かったのでもったいない。
この幻の本を、昨日のFM軽井沢で紹介した。唯一、私の語れるお話だったのだが、放送するのに間違えてはいけないとメモを取っていったものだから、宮尾さんに「語り風に、ご紹介いただきました」と言われて、多少傷ついた。その上、一番大切な2行を飛ばしたような気がしてならない。何のためにメモしていったんだ!と後悔しきり。
ストーリーは、村上豊描く夕焼け空で、大男がパンを焼くシーンから始まり、大男がアグンとひとくち食べたカケラが晩秋の地上に落ちて、冬ごもりをするクマたちのお腹を満たした、というもの。クマのこぼしたカケラが子ネズミの、子ネズミのこぼしたカケラがコオロギの、コオロギのこぼしたカケラがアリたちの、冬ごもりの準備になって、「みんなみんな穴の中で、春が来るまで、おやすみなさーい」でおしまい。お腹が一杯になって、深い雪の中でゆっくり眠りに入る、という、枕元の読み聞かせに、最適な一冊でした。
1974年の作品だから、ずいぶん古いのだけれど、この頃、こういう読んでいて楽しい本が少なくなったような気がして、紹介したくなった。FM軽井沢でも、多分⒑年くらい前に紹介したのだが、なぜか近頃、いつの間にか机の上に出てきている。すごく不思議な現象なのだけれど、断じて私自身が書棚から持ち出したわけではないし、FM軽井沢でも『海外子女教育』誌でも、ずーと取り上げてないのだから、2階から階下まで、この本はひとりで降りてきたに相違ない。そんなに寂しかったのかなあ。
とにかく、このゴッペというのは、水沢研の挿絵に寄れば、ぼさぼさ頭に猫みたいな口ひげがあるおかしな奴だが、好意が持てる。ゴッペという呼名の由来は、鼬の最後っ屁、だそうだから、そういう奴なのだ。
小学3年生のアキコは、新学期、どうも学校に行きたくない。心配したパパに、もしかするとパパのいたずら書きが残っているかもしれないぞ、と言われて、興味津々になって、学校に行くようになる。イタチみたいな顔の悪戯描きに触れてみると、絵がニヤッと笑ったようだ。それからというもの、何かというと、ゴッペが現れる。
評論家なら、ここできっと、登校拒否の子どもへの親の愛情がどうのこうのと言うのかもしれないが、この山中恒の作品は、私が読んだ限りでは、そんな理屈っぽいことは少しも感じさせずに、子どもの心の問題を、片っ端から片付けてくれている。子どもから見た、気に入らない大人のあれこれをあげつらいながら、どこかで必ず、でもね、親たちはこんなに君たちを愛しているのだよ、と読者を安心させてくれる。
山中恒のあと、こういうタイプの作家が、皆絵本の方に行ってしまったようで、子どもの読書力の低下に合わせたのかもしれないが、数少ない読める子の方が、こういう悩みを持っているに違いないので、もう少しこの年齢、この精神年齢の子どものための読物がほしい。
何だか今日は、真面目な気分。らしくないかも・・・・・。
絵本の古典。1965年日本初版、半世紀以上昔の絵本だが、絵の雰囲気も、物語も、少しも古くない。それなのに2002年に、『海外子女教育』誌の「子どもの本棚」の集大成として発刊した『小林悠紀子の進める630冊の本』には、この本が紹介されていない。勿論、読んでいたし、良い絵本なのはよくわかっていたのだが、「噂になっている本は、今更紹介したくない」というひねくれた思いがあるもので、特にこの本は紹介する隙がなかったのだ。
つまり、良い本のリストには殆ど常に挙げられていたし、実は、実際の世の中で、鴨の行列が、よく話題になり、新聞やTVのニュースになっていたから。例によってうろ覚えだが、帝国ホテルの玄関の噴水から、皇居のお堀への行列だったり、どこかの新聞社の社屋で雛が育ったりしていて、その度に、この絵本が話題になった。その度に、ああ、また紹介できない、と機会を見送っていた。
軽井沢に居ると、鴨はそれほど珍しい存在ではない。レストランのメニューでもよく見るし・・・。ではなくて、我家の庭に流れるせせらぎにも、年に何度か、つがいの鴨がどこからか泳ぎ上ってくる。だから特に珍しくもなく、話題にもならないので、10月4日のFM軽井沢「魔法使いの本棚」で、ようやく紹介することができた。そしてようやく気が付いたのだが、渡辺茂男先生の訳ではないか!渡辺先生には、ICBA(国際児童文庫協会)を立ち上げる前、だんだん文庫を始める頃から、亡くなられる直前まで、ずいぶん色々教えて頂いた。
ICBAの10周年が過ぎた頃だっただろうか、青山の子どもの城のすぐ近くの花屋さんの前で偶然お目にかかって「お茶でも飲みましょう」と誘われて、すっかり上がってしまった私は(全然上がっているように見えないのが困るのだが)、大きなクラブハウスサンドをバクバクと食べながら、夢中でなぜか初恋の話をしていた。やがてお皿は空っぽになり、渡辺先生に呆れたように「あーあ、なくなっちゃったよ。ボクも一緒に食べようと思ってたのに」といわれて、ようやく正気にもどったのだった。
で、その渡辺先生の分かり易い訳のお陰もあって、鴨さんがとても身近に感じられるストーリーなのだが、大人になって読み返すと、ヨチヨチ歩きの鴨たちが何とか無事に道を渡れるようにと、交通整理をしたり、電話でパトカーを呼んだりするお巡りさんのマイケルが見事なわき役に描かれているのに気付く。良い本は、どんな本でも、読返すたびに新しい世界を見せてくれる。
作家ハイメ・ガンボアも絵ウェン・シュウ・チェンも、コスタリカ出身で、チェン氏は建築家であるという。なるほど、と思った。表紙も中表紙も、白い厚紙で作った建築物の内側の様。お話が始まっても、図書館の中に何人かの子ども達も真っ白。 そこにファンタジックな虹色の鳥や子どもの姿が、ところどころに飛んでいる。主人公は、図書館にいるのに、誰も読んでくれない、気の弱い本。ところがある日、一冊一冊指で触れながら探している女の子に出会う。実はこの本は、点字の本だったのだ。
上橋菜穂子といえば『精霊の守り人』シリーズをはじめ、日本の少年少女にとっての『指輪物語』のような大河ドラマの作者で、いつの間にか現れ、次々と、大人も夢中になれる作品を書いてくれた偉大な作家だ。なので、敬遠でもないが、きっと話しかけても適当にスルーされるタイプだと思いこんでしまっていた。だから、昨年だったか?コロナの所為で月日の感覚がなくなってしまったが、国際アンデルセン賞受賞の後、JBBYの何とか賞も受けられて、その集まりに参加したので、当然お見かけしたが、それまでお話したこともなかったので、お祝いのご挨拶もせず失礼してしまった。
この本を読んで、あ、しまったことをした、と後悔した。お見かけしたところ、とても親しみやすいタイプの女性で、親しいご近所というタイプだったので、自分の思い描いていた上橋菜穂子とは、全然違っていて、かえって、なんとなく、近寄れなかったのだ。 絵本も含めて、児童文学の作者は人が良い。誰かに親切にしたくてたまらない人達の集まりである。だからJBBYの会合に出たら、なるべく有名な作者に声を掛けたほうが良い。あまり書けない作者より、良い作品を書いている作者の方が、間違いなく優しい。
閑話休題。その、上橋菜穂子のエッセーというのは読んだことがなかったので、『明日はいずこの空の下』という題名にも惹かれて、ページを開いた。外国旅行の話が中心だが、その土地土地の著名な物語を中心に語られるので、知らない旅行話ではなくて、よく知っている街を一緒に旅をしている気分になる。読み進むと、殆どが、影響を強く受けて育ったお母様との旅行であったことがわかる。本の終りに近づくと、お母様が今もお元気だろうかと気になって、発行年月日を確かめてみた。確かめるまでもなく、最後まで読むと、癌と闘いながら、明るく二人旅を楽しまれたお母様が寿命を全うされたことも書いてあった。とても親しい友人の、旅の話を聞いているようなエッセーだった。またいつか、JBBYの会で、お目にかかることがあるだろうか。本をたくさん読んでいる人なら、きっと誰でも、著者と話をしたくなる、エッセー集である。